2007年01月「所長個人のブログ」 一覧
阪神・淡路大震災から12年
2007年01月17日 20:59
12年前の1月17日朝、私は九州・宮崎のホテルにいました。神戸のY先生とゴルフに出掛けていたのです。 立派な建物の巨大ホテルが朝5時過ぎカタカタと揺れました。朝食を摂りながら、Y先生は、「今朝地震あったで~。ひろっさん気づいた? 九州は地震が多いんや。」と呑気に仰っていました。ゴルフのスタート時間の頃には、神戸・大阪で地震があったことは分かっていたのですが、 Y先生は「様子も分からへんしジタバタしても仕方ないで。ゴルフやろ。」と言って何時も通りスタートして行きました。
ゴルフ場の方々も、何時も通りでした。が、ハーフを終えて昼食の時には、様子が一変していました。 レストランに殆どゴルフ客の姿が見えないのです。ゴルフ場のスタッフの人達も、『お客さん関西から来てるんでしょう。 ゴルフどころ違いまっせ。皆さん帰りましたよ』みたいな顔をしています。テレビのニュースでも倒壊した阪神高速道路が映し出されていました。 さすがに私は、ゴルフ止めて帰った方がと思いました。それでも、Y先生は、『未だ様子が良く分からへん、ゴルフやろ。』 とスタートして行きました。ゴルフ場の人達は、全然乗り気ではありません。『ホントにやるの、帰った方が良いよ』みたいな感じです。 こうして1月17日は1.5Rやりきりました。恐るべし、Y先生。
その日の夜、ホテルでテレビに映し出される神戸の街を見て、さすがに、『帰らなアカン』とY先生の穴に火が点きました。 翌朝一番の飛行機が運良く取れ、伊丹に着く事が出来ました。伊丹には、 私の事務所のT.Y君がチャリンコで迎えに来てくれていました(機転の利くT.Y君です)。 Y先生はそのチャリンコで神戸元町の事務所に向かったのです。私も、家に帰り、バイクを引っ張り出し、水とおにぎりを積み込み、 神戸に向かいました。Y先生の事務所、知り合いの所と無事を確認しようと考えたのです。1月18日のお昼過ぎのことです。
神戸に近づくにつれて、町は滅茶苦茶に破壊されていました。道路は捲れあがり、家はペシャンコでした。三宮・ 元町界隈は傾いたビルからガラスとコンクリートの破片がパラパラと降っていました。今、 綺麗に復興した神戸の街を見ると其の時の事を思い出し、人間の立ち上がる力の凄さを感じます。幸いに、私の知り合いの方は全員無事でした。 が、その日(18日)元町への道中、たくさんの犠牲者の方を目の当りにしました。今思い出しても、痛ましく辛い経験です。この世に、 人の命より尊いものは無いと言うのが実感です。Y先生に聞くと、あの震災後、嬉しい事、辛い事、楽しい事、嫌な事、全ての事を体験し、 『これが人間や!頑張ろう!』と言うのが実感だそうです。・・・・・さすが大物Y先生。
明けましておめでとうございます
2007年01月04日 16:17
明けましておめでとうございます。 本年も宜しくお願い致します。
年末年始は、茨木の辯天さんにお参りに行きます。
年末は、家族が無事一年間過ごせた事、事業が継続できた事、 自分自身が健康で過ごせた事、友人知人の無事、取引先の無事・・・など々有難い事ばかりなので、お礼を言います。 良い事にお礼は言い易いものです。年始は、新しい一年のお願いを致します。これからの事も素直にお願いし易いものです。只、 私も聖人君子ではないので、お祈りで手を合わせていると、一年間の色んな嫌な事が頭をよぎります。
この事を30年来の友人(彼は熱心な辯天宗の信者さんです)に話をすると、 「中野さん、あなたに嫌な思いをさせたり、 腹立たしさを感じさせたりする人は、中野さんの人間の器の小ささを教えてくれる人なんだから、感謝しなきゃ。」と、きたもんだ。 私は、 この10年位、欠かさずお参りしているだけで、イッパシの信仰のつもりだったので、この事に又、カチンと来ました。
「又」 と言うのは、 この友人は以前にも、私が遊び呆けて、 事務所が崩壊の危機に瀕した時、 私を見限って事務所を辞めて行った人たちの幸せをお祈りせよと言ったのです。 その時もムカついたのですが、 他に頼る人がいなかった私は、仕方なく、彼の言う事を聞き、私を見限った人達を思い浮かべ、 お祈り致しました。 これを3年くらい続けると(彼も付き合ってくれました)、お祈りの効果か、 記憶が薄れたのかは定かではありませんが、 ムカつきは収まりました。(念のため、申し添えておきますが、 私は見限られて当然の行いだったと思っております。)
そんな事があったので、今回もその友人の言う事を聞く事にしました。が、 これが、結構辛いのです。本当に嫌な事を言う奴です。
こんな嫌な奴、皆さんの周りには居ますか?居たら、大切にして下さいよ。私は、 今から年始のお参りに行って来ます。


